こんなときにも支えようとしてくれる。
自分のことを思ってくれてる。
浮き足立った時に絶対にそのことを忘れちゃダメだ。
そんなときどんな風に思うか。
考えただけでも最低だ。
忘れない決意をここに刻む。
浮かれない決意をここに刻む。
そして常に刻み続ける。
何だかわかんないけど、本当に大事だ。
ゴメン。ありがとう。

あの頃コメントを返さなかった理由はなんだろう?

ただ忙しかったから?ただめんどうくさかったから?

そのせいで人の事にまで気が回らなかったから?

人の事に気が回らない。それはあるかもしれない。

悩んでるところは多かれ少なかれ誰にもあるだろうし、
助けを言い出しにくい人もいっぱいいる。

その頃もずっと悩んでたのかもしれない。
だからそんな悩んでる自分がどんなコメント返せるのかって思うから。
自分のことなのに人に見せてはいけない。そう思うから?



それにあったコメントと自分の気持ちが分離できないから書けないんだ。
友達だから分離していいのか、って思うところもあるんだ。



あとで仕事やバイトのことについても振り返ってみよう。

見失う自分・逃げる自分

実は何も見えてないんじゃないか。

この目に見える風景は実は幻想を写す映写機なだけであって、

暗いところで一人ぼっちで座っていたあの頃の映写機を

僕は色んな光にキョロキョロしすぎて蹴飛ばして、

見ようともしてこなかったんじゃないのか。

成長していった自分の身長と共に、

見える世界が変わっていって。

昔の映写機がある事も忘れ、

五感の表面に届くものだけに体を操られていった。

本当の映写機が人のどこにあるのかも知らずに。

本当の映写機が自分のどこにあるのかも忘れて。

濡れているからこそできること。


洗濯。メンドクサイと思っててもいける。
洗い物。濡れてるし。
かじかむ手にあったかいお湯。じんわりしてくる。
昔を思い出す。懐かしさにがんばれる。
シャワー。もっと気持ちいくなる。
恵の確認。ないと生きていけない。
普段の行動が良く見える。効果を上げる。もっとよくうつる。
雨のない地域を思いやれる。
こんな時にこそ、楽しさを、優しさをと思える。

さくらと写真


さくら。濃いピンク。写真。鴨川。

違う。中身。外。うまくできない。伝わらない。写らない。撮れない。

自然、機械、違うのか。でも。ある。綺麗も。

超える。ある。瞬間。ある。

うん。人。変わる。違う。道具。

心。技術。思い。伝え。だから写真。全部詰まってる。

道具。人の心表すもの。見れば伝わる。その人の思い。中身。本当の姿。

綺麗に撮れない。全部詰まってるから。

自然は今日も動く。

またまた気づいたこと。

今まで復習なんてしてきませんでした。
小さい頃はそれでも簡単にまかなえてたから習慣にならなかったというのもあるかもしれません。

うすうす感ずいてはいたけど、自己分析や振り返りって、まったくもって復習そのものですよね?

これって本当に頭の中に残るだけじゃなくって体にまで染み付いて残そうっていう意識が強くなるなって思った。

今さらやけど、習慣にならなかってメンドクサイで終わらせてきた自分が恥ずかしい(笑)

もっともっと振り返って、毎日も振り返って、言ったこと、思ったこと、気づいたことを表していこう。

一見遠回りにも見えるけど、同じ失敗を何度もしないと決意できちゃんと自分でもわかれるから近道だ。

論語でも言ってた。
曽子曰く、吾日に吾が身を三省す。人の為に謀りて忠ならざるか。朋友と交わりて信ならざるか。習わざるを伝うるか。

〔意訳〕
曽子(孔子の弟子の曽参(そうしん))云う、「私は毎日幾度となく自分の身(しん)(行ない)・口(く)(言葉)・意(い)(思い)について反省する。喩えば、人の為にと思いながら、私心がなかっただろうか(意)?友人との交際で、信頼を裏切るような行為がなかっただろうか(身)?良く知りもしないくせに、知ったかぶりしていい加減なことを人に伝えなっただろうか(口)?」と。

曽先生が云った、「私は毎日三つのことを反省する。一は、人のために何か良いことをしただろうか?ニは、友達にいじ悪なことをしなかっただろうか?三は、まだ良く知らないのに、知ったかぶりしておしゃべりをしなかっただろうか?」と。


本当に自分の考えや学んだこと以上に色んなものを見つめ返せると実際に思います。

そしてもっと素直に、謙虚になろうって思いました。
決して驕らず意味をわかってし続ける。
そしてそこで結果を出す。楽しませる。
やっぱり大事なのは心、自然。そんな基本的なもの。


論語のページ↓
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